なぜ、48歳のPRコンサルタント竹村徹也は、業界からの
猛烈なバッシングを覚悟で、いままで誰も話さなかった
PR会社のタブーをすべて公開しようとするのか?
最初の挫折
業界のタブーをお話する前に、私がPR業界に入るまでの経緯をお話させてください。
私は3歳のときから母子家庭で育ち、都立高校を卒業後、ある志をもって医師になるこ
とを目指しました。
貧乏な母子家庭の自分が医師になるには、国立の医学部に行くしか道はありませんで
したが、高校での成績もさほど良くない私の志望を聞いて友人たちは、ただただあきれ
るばかり…。
「あいつバカじゃないか」
そう陰口も叩かれていたようです。
周囲の予想通り、3度受験に失敗。これ以上、予備校に通うお金を出してもらうのが、
母親に申し訳なくて結局夢をあきらめてしまいました。
悶々としたサラリーマン時代
その後、地方大学の工学部を卒業して、医療機器メーカーのテルモという会社に入り
ました。
医師になるという果たせなかった夢を、エンジニアとして医療に取り組むことで少しでも
近づける思ったからです。
ところが、大学の研究室の先生から「お前だけは卒業させない」といわれるほどの技術
ベタな人間が、企業の研究所でやっていけるわけがありません。
若い仲間との研究所生活はそれなりに楽しいものでしたが、やはり自分にとっての居場
所ではないな、と常に自分の適性をにらんで考えていたのを思い出します。
その後、転職して環境関連のメーカーで、技術系のバックグランドを活かした事業開発
やマーケティングの仕事や、まったく分野の違う人材コンサルティング会社で、人材教育
のコンサルタントなどをしたりしました。
当時は今と違って、転職が比較的容易にできた時代で、いま就活に苦労する若い人達
には申し訳ない気持ちもありますが、さまざまな業種で異なった職種につくことができた
のです。
ただ、自分の中には「自分の居場所ではない」という感覚が常につきまとっていたのでした。
すでに、大学を卒業して10年以上がたち、30歳も中ばに差しかかるというのに、自分の
打ちこめる仕事がない、当然、自分の専門となる分野の蓄積された知識や経験、ノウハ
ウもない。
「自分の人生、これからどうなってしまうんだろう…」
本気でエネルギーを注ぎ込めるものに出会えないいらだちとともに、居ても立っても居ら
れないほどのあせりを感じていたのがこの時期でした。
35歳で月収15万円の転職
そんな気持ちでいますから、仕事の合間にほかの業界や職業のこともよく調べたていたのですが
そんなとき、たまたま書店で手に取った本が、米国のPR業界のことを書いた翻訳本でした。
そこには、PR=パブリック・リレーションズの職業としてのスケール感や、企業の情報参謀として
の米国での地位の高さ、社会やジャーナリズムとの接点など、
「自分が求めていた仕事はこれだ!」
と腹の底から湧きあがるような抑えきれない興奮をそのとき覚えたのです。
PRが社会のあらゆるステークホルダーを対象にした経営戦略レベルの高度な業務であること
から、これまでの自分の異業種でのさまざまな経験がすべて活かせそうで、無駄にならないとい
うところもとても魅力的に感じたのです。
すでに、30代半ばになっていた自分が、企業の広報部署に入ることは無理だとわかり、PR会社
への転職を考えましたが、業界経験なしの34歳にはさすがに採用してくれる会社はなかなな見
つかりません。
これまで、医師への夢をあきらめ、社会に出ても打ちこめる仕事がなく、初めてこれだと思える
仕事を見つけたのに、カンタンにあきらめるわけにはいきません。
当時は、正直どこでもいいからPR会社に入って、丁稚から始めてイチから経験を積む覚悟でし
た。
すでに前職も辞め、アルバイトで食いつなぐ毎日。
焼きイモ屋をやりながら、毎日残った焼き芋で食いつないだ時期もありました。
狭い部屋で夜中に疲れ果てて帰ってきた後に、残りの焼き芋ばかり食べていたので、
朝起きてうかつに火をつけると爆発の危険があるほどでした。
そんなぎりぎりの状況の中で、PR会社の採用もあてのない中、たまたま寄った渋谷の職安で、
PR会社スタッフ募集の求人を見つけました。
給与はたしか15万円くらいだったかと思います。
前職は一応、人材教育のコンサルタントでしたので、年収1000万円まではいかないものの
かなりの高収入を得ていました。
それでも、経験を積めるのなら、生活できるだけでいいからとにかく入れてくれ、そんな気持ちで
なんとかPR会社にもぐりこむことができたのです。
この時、すでに35歳になっていました。
惨めなPR会社時代
それでも、自分が見つけた道へいよいよ踏み込めたうれしさで、社会人になってから感じたことの
ないほどのワクワクした気分でいたのです。
ところが…
あれほどあこがれをもって入ったPR業界だったのに、以前本で読んだような社会を動かすような
戦略性やスケール感は???
やることといえば、自分なりに書いたリリースをもって、マスコミ回りの繰り返しの毎日。
当時のクライアントだったプールのテーマパークでは、真夏のカンカンと日照りが続くプールサイ
ドをタレントの後を追っかけて撮影用の浮き輪をもった走りまわる。
夏の強い日差しとプールの照り返しで、照り焼きチキンの気持ちがよくわかったのでした。
まるでADじゃん・・・
これが自分がこれまでのすべてをかけて入った業界なのか?
テレビ撮影が終わって帰るとき、ひとり駅のベンチに座りながら、西日の強烈な日差しを顔にまと
もに受けながら、自分の置かれた惨めさから思わずこみあげてくるものがありました。
なんでこんなことやってるんだろう?
それでも、こんなことで自分が意を決して入った仕事をあきらめるわけにはいきません。
たぶん、小さなPR会社だから、こういう仕事が多いんだろう。
そう気持ちを入れ替えて、今度はたまたまご縁のあった大手PR会社でお手伝いする機会を
持てたのです。
大手PR会社のひどい実態
その会社は、業界でも老舗として有名な大手で社員も100人以上いるPR会社でした。
ここなら、PRについて高度なノウハウや技術を学べるだろうと思っていました。。
ところが… そういった自分の淡い期待は、すぐに打ち砕かれました。
企業から言われたことをそのままリリースにして発送する事務作業的で退廃的な雰囲気。
高度な戦略や斬新なアイデアを提案するような土壌は皆無。
パートやアルバイトでもできそうなことを、年収500万円以上もらっている正社員が毎日
やっている。
同じことを10年、20年と繰り返すうちに、思考停止してしまった中堅や幹部社員たち。
そして、それらをみて絶望感をもつ若手社員。
一見和気あいあいと仕事をしているように見える社員たちも、実は自分の仕事に面白さや
将来性を見いだせないため、サークルのような乗りでごまかしながら過ごしている。
まあ、あげたらきりがないくらいの体たらく、という感じです。
典型的だったのが、この会社で私が引き継いだベンチャー企業のPRの例です。
それまで担当していた20年社員が、新たなアイデアや発想もなく、淡々と事務的にこなして
いて当然のことながら成果の出ない、クライアントからも烈火のごとく怒られる。
ただただ担当者があやまるばかりで埒があかないのを、私がひきついで簡単なアイデアで
すぐにメディアの取材も殺到し、このベンチャー企業の知名度が一気に上がりビジネスも
成長していきました。
なにも、自分自身の自慢をしているわけではありません。
一般的な業界からみれば、このくらい出来て当たり前と思われるレベルのことがまったく
できない。
いままでここではなにをやってきたんだろう?
業界を代表する大手のPR会社でもこうなのか…
わたしの業界への落胆はますます深まるばかりだったのです。
ある中堅企業の広報担当者として
もうこれはPR会社から離れるしかないな。
ダメといいながらも、自分なりに工夫しながらある程度業界での経験も
できたので、一度企業側で広報をやってみようと考えました。
たまたま社長とご縁があり、中堅の住宅メーカーの広報として
仕事をすることになりました。
その会社は当時、創業20年くらいで内容もなかなかいいものをもった会社でしたが、
広報部門が手薄だったので、これまでの経験をもとに業務を進めました。
その結果、1年あまりの間に、独自のブランドポジショニングも獲得でき、マーケティング効果も
目に見えて上がっていきました。
結局、この会社はPRを本格的に取り入れたことで、業界で一躍注目を浴びることとなり、
売上・規模ともに短期間に7−8倍、そして業界を代表する会社に成長していきました。
いまから考えるとまだまだ稚拙なレベルでの業務でしたが、会社の内部にいると、その効果が
一目瞭然でわかるもので、PRの効果がいかに企業の成長に効果があるものかということが
実感できたのでした。
経験しないとわからないものかもしれませんが、それはもう、ひとことでいうと別の次元に
ビジネスを引き上げるとてもいったほうがいいくらいです。
でも、当時広報担当として決してPR会社を利用しようとは思いませんでした。
自分がやっている業務の内容を上回るような戦略的なレベルのノウハウやサービスなど受けら
れるとは思えなかったからです。
この会社とは短期間のお付き合いでしたが、外部では経験できない企業内部でのPRの活用を
検討する上で、とてもいい経験をさせてもらうことができたと思っています。
PR会社を取材する連載を担当
さて、その後、私自身はフリーのPRコンサルタントとして活動していましたが、 すぐにカベに
ぶち当たってしまいます。
正直言って、この分野で仕事をしていてもこれ以上成長できるとは思えなかったのです。
あとはクライアントを替えて、同じ業務の繰り返し…
将来にワクワク感をもてない中、会社も設立してしまい今後のことを真剣に考え始めたのも
この時期です。
そんな時です。
たまたま知り合いのフジサンケイビジネスアイの方から、PR会社を取材する連載をもってみない
かと誘われたのです。
ちょうどPR会社としてやっていくことに行き詰まりを感じていたところだったので、 もし、この取材
で何も新しい発見がなかったら業界から足を洗って別のビジネスを始めよう。
そう決意してのスタートで、結局、週一回の連載が1年間も続くことになりました。
衝撃的な出会い
これまであまり縁のなかった外資系PR会社から国内の大手・中堅など、70社以上の主要なPR
会社の社長さんたちに取材をする中で、徐々に自分の中で疑問が生じてきました。
外資系と日本のPR会社はなんか違うな…
言葉では言い表しにくいのですが、たしかに存在する違い。
これを見事に教えてくれたのが、井之上パブリック・リレーションズの井之上喬社長でした。
井之上さんには、早稲田大学でのパブリック・リレーションズ講義にも参加させていただいたの
ですが、ここで自分がPR業界を志した時の想いを再び思い出したのです。
これこそが米国の翻訳本で読んだPR=パブリック・リレーションズだ!
日本のPR会社や業界で経験してきたことと明らかに次元の違うPRが国内にも存在した。
この衝撃は私にははかりしれないものでした。
この後、井之上さんから直接いろいろなことを教わりました。
私がいうのも失礼な話ですが、たまに言われる一言が見事に本質を突いている。
後からずしりと響いてくるその言葉の端々から、この人はひとつの分野を極めた本物の人だと
直感しました。
PR=パブリック・リレーションズは、企業の経営課題を最短距離で解決する
リレーションシップ・マネジメント
それ以来、井之上さんを勝手に「師匠」と決めて、ここから再びPRへの意欲がふつふつと
湧いてきたのです。
自分はまだなにもやっていなかったんだ…
日本にもパブリック・リレーションズを
いままでのPRとどこが違うのか。
これまでのPRはメディアを対象にしたメディア・リレーションズしかなかった。
そのほかのステークホルダーも対象にしたパブリック・リレーションズという
発想自体が日本には存在しなかったといっていいかもしれません。
@メディア・リレーションズ ⇒ パブリシティ(メディアでの報道)
Aパブリック・リレーションズ ⇒ 社会との関係構築(ブランド化)
BPRコンサルティング ⇒ 経営課題の解決
PR会社のコアコンピタンスはメディア・リレーションズですが、これは一般の経営
コンサルティング会社にない機能です。
PR会社は、その上に、社会のあらゆるステークホルダーとリレーションを
深めることで、企業活動を円滑に進めるサポートを戦略的におこなう。
企業のあらゆる経営課題を解決するために、メディア・リレーションズを
ベースにしたコミュニケーション戦略全体を策定し実施する支援をおこなう
のが、本来のPR会社、いやPRコンサルティング会社の役割です。
PRCAの設立
私は、こんなに素晴らしいPR=パブリック・リレーションズという手法を日本にも根付かせたい
と真剣に考えています。
特に、プロフェッショナルなレベルでのPRを提供するのは、PR会社だという考えがあるので、
どうせなら自分の会社だけでなく、志のあるPR会社と一緒にやった方が効率的にノウハウも
高まるし、普及も早いのではないか。
井之上さんからの示唆もあり、PRコンサルタント研究会(Public Relations Consultant
Association/通称:PRCA)という組織を立ち上げました。
国内の有力なPR会社と外資系のPR会社が中心となって、本来のPR=パブリック・リレー
ションズを普及することを目的としています。
PRについては、ここ10年くらいの歴史しかない中国や韓国でさえ、はじめから欧米流の
PR=パブリック・リレーションズを取り入れて、企業や団体のビジネスの発展・活性化の
支援をおこなっているそうです。
先進国では唯一、パブリシティレベルで止まってしまっている日本のPR業界を本来の
パブリック・リレーションズのレベルに引き上げて定着させたい。
グローバル展開が常識になる今後の企業経営には不可欠のテーマといえます。
それには、これまでのPR会社の延長ではなく、まさにコペルニクス的な展開で業界を
革新する必要があると思います。
弊社は、PRコンサルタント研究会の中心となって、社会的な課題を解決するような
すぐれたサービスを提供する会社に質の高いPRで、経営課題の早期解決をはかって
もらいたい。
そしてこういった会社にもっと成長してほしいと心から願っているとともに、弊社がその
一助となれるよう、一層の努力を積み重ねて最高のPRコンサルティング&サービスを
ご提供したいと思っています。
弊社の考えにご賛同いただける方は、ぜひ一度ご連絡ください。
これまでのPR会社からは得られなかったパフォーマスをお約束します。
竹村徹也
竹村に直接届くメールアドレスです。info@bcpr.jp
追伸
残念ながら、これまでのPR会社には、本来のパブリック・ リレー ションズという発
想も
PRコンサルティングという機能の提供もありませんでした。
一般のコンサルティング会社と比べると、メディア・リレーションズと
いうすぐれた実働機能を持ちながら、コンサルティング機能がなか
ったためにまさに「宝の持ち腐れ」とも言える状態だったのです。
今後、あらゆる企業にはマーケット(市場)を対象にしたマーケティング以上に、マーケットを
含めたソーシャル(社会)を対象にしたPR=パブリック・リレーションズという考え方が重要
な意味をもつようになります。
「日本に本物のPR=パブリック・リレーションズを定着させる」
弊社は、PRCAの有意な仲間たちとともに、真剣かつ全力で企業の支援をはかっていき
ます。
メディア掲載実績(PR会社紹介記事ほか)
●フジサンケイビジネスアイ
「ニュースの仕掛け人 ザ・PR会社」
弊社代表の竹村徹也が、全53回の取材・執筆を担当しました。
(2007年8月17日〜2008年8月29日/連載全53回)
●その他、多数のメディアでこれまで紹介されました。
≫メディア紹介一覧はこちら
PRってこんなに効果的!(支援実績)
本格的にPRを導入した結果…、
@約5年で年商・社員が7−8倍に!
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